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松江の繁栄

広大な宍道湖。松江の富はこの豊かな汽水湖に支えられていたに違いない。地理的優位さもあって大陸との交易によってますます栄え、独占的な人参の栽培や「たたら製鉄」によって、相当の富を成したともいう。

宍道湖のほとりに建てられた、松江城
関ヶ原の戦いの後、足掛け5年の歳月をかけて1611年に築城しただけあって、様々な意匠が凝らされた「戦略要塞」という感じである。例えば、敵の侵入を少しでも妨げるためにピッチを不揃いにした石段や急で狭い階段、板を揃え金輪で締め強度をもたせた寄木柱 、籠城時の物資倉庫と井戸を持つ地階、防火防腐性に優れ引き上げ可能な桐の階段、外部から発見しにくい石落とし、360度の眺望を確保する柱のない最上階等、非常に機能的である。
それでいて、入母屋破風の優雅な屋根。現存する全国の城の中で、平面規模で2番目、高さで3番目を誇る「千鳥城」と呼ばれる優雅な風格は、まさに国指定重要文化財に相応しい。

城とともに、町づくりも工夫が凝らされていた。山を削り宍道湖の一部を埋め立て平らな土地を作り、城の周りには宍道湖からの水を引いて堀をまわし、城下町には敢えて多くの橋を架けず、道は故意にジグザグに巡らせている。
【おまけ】レゴで作った松江城


松江城の裏手には塩見縄手と呼ばれる中級武士が暮らしていた住居街がある。所謂「武家屋敷」はここに在るが、現在も当時のまま展示されているのは一軒だけで、あとは蕎麦屋等に改装されている。

またこの一角には小泉八雲記念館や旧居もある。僅か1年半程の松江の生活の間に八雲は3度も住居を変えたらしいが、最後は武士の生活と居住空間に惹かれ、頼み込んでこの一角に住んだということらしい。見事な掛軸を思わずパチリ。


松江藩主は、堀尾氏が3代、京極氏が1代、松平氏が10代引き継ぎ廃藩置県を迎える。この中で、特に7代治郷(はるさと)は「不昧公(ふまいこう)」とも呼ばれ、破綻した藩の財政を再建し、その蓄財で茶禅の境地を開く。この茶人大名のおかげで、山陰の地にあって洗練された文化が花開いた、ということなのだろう。金沢同様、京都にも似た成熟した文化の香りがそこかしこに感じられる町である。