souxouquit’s blog

オヤジロッカー souxouquit の蹴音映書網業泉食考♪

恩師の死

帰宅途中の地下鉄で立っていたところ、突然倒れた。偶然車内に医者が2名いてすぐさま心臓マッサージを施したけれど、ダメだった。ほんの5分ほどの出来事だった。


まだ63歳だった。
あまりの唐突さと理不尽さに、言葉を失う。


「Hさんはカッコつけるタイプではないが、最後に教師としてカッコつけさせてあげたい」という同期Kのカッコいい発言もあいまって、通夜には20人程の同期を含む700人くらいの人たちが弔問に訪れた。Hさんの教師としての人徳が偲ばれるというものだ。


現国は6年間ほとんどHさんに習った。中3の時にはクラスの担任も受け持ってもらった。うちの学校には生意気にも卒論なんてものがあって、中3の学年末の現国の試験は卒論で代える。採点がないことをいいことにHさんをそそのかして試験休み中からクラス旅行へ行くことを、俺は企てた。卒論からの開放感からか、9割方の生徒が参加する異常な盛り上がりのその伊勢旅行は大好評を博し、「旅行を仕切らせるならsouxouquitに任せておけ」的な空気を呼び、その後の高校3年間、俺は学年旅行の実行委員長を務めることになっちまったんだ。


そんなことをとりとめなく思い出しながら、大盛況だった通夜の帰り、大勢の同期とはぐれてしまった俺は、中学で一緒のクラスだったTと、2人で居酒屋へしけ込んだ。
献杯を酌み交わしながら、家庭のこと、子供のこと、仕事のこと、これからのことをとめどもなく語り合った。
頭がいい(東大現役だ)だけじゃなくて、運動神経もいい(バスケ部)し、センスだって抜群だった(“cheap”の反対語を“peach”と書いて英語の教師から点をもぎ取った武勇伝を持つ)Tは、出席番号が近いこともあって、昔から親近感を持ってはいたけど、実はゆっくり話したこともなくて、話してみてビックリの連続だった(何しろ一目も二目も置いてる彼が俺のことをカッコいいって言うんだぜ)が、ものすごく楽しかった。不謹慎だが、死者の功績って、こういうことで出るんだと、本当にそう思う。


来年は五十路なんだが、これからのことをあくまで前向きに捉えて生きていかねばいけない。黄昏れている暇があったら一所懸命に生きろって。そう叱咤してもらった。
そうでないと申し訳ないし、あの世でHさんにまた怒られちまう。そんな気がしたんだよ。