souxouquit’s blog

オヤジロッカー souxouquit の蹴音映書網業泉食考♪

緊急時のシミュレーション

午後2時46分。
これまで体験したことのない大きな揺れ。免震29階建ての25階フロアは、まるで飛行機のタービュランスのようだった。デスクの抽斗は全開。キャスター付きの椅子は制御不能。立っていられない。ないしは真直ぐ歩けない。
そのうち、窓から見える首都高からはクルマが消え、代わりに甲州街道は大渋滞になった。無論鉄道は全部止まっている。
定時17:30を過ぎる頃、総務から全社員に通知。

  1. 帰宅できる社員は、申告した上で徒歩にて帰宅すること。但し常識的な距離の者に限る。
  2. 歩けない距離の社員のうち、どうしても緊急帰宅の必要のある者にはタクシーチケットを支給する(但し無線でも1h待ち状態なのでそれでもいいなら、という条件付き)。
  3. その他の社員については、基本社屋に泊まる。女子社員については、極力近隣のホテルを押さえる(ので幸運ならホテルで休むことができる)。

俺は該当「1.」勝手にそう決めた。職場初台から三鷹は20㎞弱、急げば3hで到着する。地震といっても東京を直撃した訳ではないので、道が瓦礫で塞がれているだとか、食糧が極端に不足していて街がパニックになっているとか、そういう状態ではない筈である。それならば今回は、激甚災害時の格好のシミュレーション(というか個人的な「訓練」とでも言うべきか)になるのではないか。そう考えた俺は、ペットボトルの水を持って、17:50頃職場を後にする。


先ずエレベータが動いていない。おそらく地震を感知して一度止まったエレベータは、安全を再確認するまで動かせないのだろう。つまりはメンテ会社のサービスマンの到着待ち。だがこの渋滞だ。到着は早くて明日だな。仕方ないので階段で降りる。まず目が回ってその時点で少しイヤになる。
オペラシティの2Fロビー。既にフロアに座り込んでいる人多数。異様な光景。当然止まっているエスカレーターを、大股で駆け降りる。外の空気を吸うと、少し安心。まだ外が明るいうちに行動を開始したのは、とても正解だ。早めに帰宅を促してくれたボスに感謝。
甲州街道の歩道は、人で溢れていた。以前読んだ震災時のシミュレーションでは、帰宅難民で道は満員電車状態になるだろうと書かれていたことを思い出す。ならば、一刻も早く都心から離れるべきだ。この辺りだと新宿方面へ昇ってくる人もかなり居る。俺はかなり足早に歩く。


教訓その1。道は右側を歩くべし。人間は心臓の位置の関係からか、どうしても左側通行の習性があるようなので、左側を歩く人が多かったようだ(少なくとも俺にはそう見えた)。右側を歩くと、時々は車道へ出て人の波を追い越すこともできる。無論すれ違いに気を付けるのだが。
環七を超える頃には、小一時間が経過。若干「上り」の人が減った印象だが、人の波はそう変わらない。この頃になると少しハイで歩いていることが苦にならない。信号待ちで時々水を口にする。ケータイは相変わらず全く使いモンにならない。


教訓その2。最も気をつけるべきは、怪我である。歩道の窪み等で足を挫いたり、人とぶつかったりして怪我をしたら、歩行能力が著しく低下し、それだけ危険な状態になる。特に気をつけるべきなのは、自転車。あいつら、歩行者のことなど顧みず歩道を猛スピードですり抜けようとする。ないしは無理に追い越そうとする。おいおい車道を走ってくれよ。俺は計5回ほど自転車にぶつかられた。謝るヤツは一人もいない。


教訓その3。手に物を持ってはいけない。コートのポケットに手袋入れておいて、本当によかった。鞄を肩に引っかけ両手が空いていたからこそ、自転車暴走族のショルダーチャージも手でブロックできた。自分の身は自分で守らなければならない。
1.5h程経った頃、ようやく環八を超える。随分歩道も歩き易い。ただ車道の渋滞は相変わらず。特に下りは酷い。甲州街道を下るバスを捕まえある区間だけ乗ることも一瞬考えたが、待ったりヤキモキするのもバカらしいので、結局ペースを変えずに歩き続ける。烏山を超えた辺りで、最終的にどのルートが最短か考え始める。つまり幹線道路からの離脱である。仙川沿いに北上することにする。川沿いを行くのは、かなり直線に近いはずだ。
2hを超える頃、一大決心。実は実家の脇を通り過ごさんとしているのだ。このまま歩き続けるか、ひと休みするか。飯でも喰って親父に車で送らせる、という甘い期待も正直ある。ケータイが全く使いモンにならないので、固定電話を借りたいという思いもなくはない。しかし、今回はあくまで「訓練」である。ここで甘えちゃ何のためのシミュレーションだか分からない。負けちゃ駄目だ。何だかよくわからないヒロイックな昂揚感の中、結局ペースを変えずに歩き続けることにする。
但し、ここまで来ると、流石に歩くことに飽きてくる。足の感覚も「棒」に近い。こまめに給水しても居たのでトイレにも行きたい。実家の最寄りの公園で、5分間だけのトイレ休憩。念のために確認するも、相変わらずケータイは使えない。
ここから自宅までは、実家に居たころのジョギングコースである。距離感もばっちり。2hを超えると、流石に「よく知っている」道でなければ心理的にキツい。普段から家の周りの道を知っていることは、当たり前のことながら大切だ。中央高速を見下ろす道からは、普段なら美しく見える筈の光の筋は確認できない。不気味な光景を目の当たりにしながら、改めて余震が続いているのだろうことを悟る。この分では電車だって復旧していないだろう。もちろん復旧していたところで、2時間や3時間はホームに上がることすらできないだろうが。
深大寺にほど近い路上で足に違和感を覚え、道端に立ち止まって靴を脱ごうとした途端、こむらがえり。ヤバい。靴下はおろか靴も脱げない。このままだましだまし歩き続けるしかない。あと30分。頑張ろう。


教訓その4。革靴&ナイロン靴下のコンビネーションは最悪。帰宅後確認したら、案の定、足の裏(正確には中指の付け根あたり)にマメが出来ていた。両足とも。できれば途中でスニーカーを買うこと。最低でも厚手の靴下は必須。途中で買えばいいものと言えば、無論自転車である。ポンとキャッシュで即買いできれば、こんな楽なことはない(笑)。
最終的に、ちょうど3h、ほとんど途中休憩なしで自宅に帰着。平均6㎞/hぐらいのかなりのハイペースで歩き続けた俺はエラいが、先日東京マラソンで3時間11分という驚異の記録で走破した高校の同級生には、遠く及ばない。俺も衰えたと認識するしかないよな。ふくらはぎと脛の外側がカチンコチンであり、生れてはじめて足の裏を破いた。風呂に浸かりながら、達成感と無力感に同時に襲わる。


教訓その5。ケータイは全く役に立たなかった。結局帰宅するまでどこにも通話できず、漸くメールがドバドバっと届くという有様。どうしようもないな。


余談だが、6pmにタクシーを拾って帰宅の途に就いた家人は、8hかけて帰宅した。夜中の2時である。いくら会社持ちだからと言って、3万5千円をドブに捨てたということになる。こういう状況下の3万5千円の使い道なら「近隣のホテルに1万円で泊まって、残りを義援金にまわす」ということなのではないか。かように考えなしに行動する身勝手なバカ者が、時間的に自分が損することに留まらず、(費用的に会社にツケをまわし)、自らが原因となって更なる渋滞をも引き起こし人々に迷惑をかけているのだ。あの夜、自宅に向かって黙々と歩いていた人たちは、少なくとも自己責任で誰にも迷惑かけずに行動していた。金はどう使おうといいだろ、ということではない。でもこんなこといくら言っても、分からないんだろうなぁ。あぁ身内の恥だ。


ま、いろいろなことが体験できて、本当によかった。
結果的にも、一番早く帰宅できた方法を採った、ということになる。


あとは、この教訓を生かすことだ。
無論、生かすような機会が起きないに越したことはないのだけれど。