souxouquit’s blog

オヤジロッカー souxouquit の蹴音映書網業泉食考♪

君よ茹でガエルとなること勿れ

以前から書いているんだけれど、考えないヤツは、救いようがない。
この問題が絶望的に「救いようがない」のは、「恵まれた生ぬるい環境が許す限り気がつかないフリをすることが当の本人にとって最大の戦略だ」という構造を孕んでいるからである。


無論、こんなものは戦略でも何でもない。
ただの怠惰だ。
ただの問題先送りだ。
あるいは、「やればできるかもしれないけどやらないんだからできなくて当然でしょ」という、予め用意された「結果に対する言い訳」に過ぎない。


「天才は1%のひらめきと99%の汗」との格言もある。
イチローを天賦の才能の塊のように崇拝しているだけでは、本質は見えてこない。
イチローは努力できる天才だ、と気づかねばならない。
否。努力したからこそイチローイチローに成り得たのだ。そんな当たり前なことに気づかねばならない。


感受性があれば問題はシンプルで、進むべき方向感も、前向き、かつ、非常に力強いものとなる。

  • このままの「先延ばし」の果てには、かくかくしかじかの未来しかないはずだ。そんなのはイヤだ。
  • 同じ人間なのに、あいつは出来て俺に出来ないのは何故なんだろう。俺にも出来るはずだ。
  • 自分の長所を伸ばし短所をカバーするために、一番有効な時間の使い方は何だろうか。
  • 自分が成長する糧として今この瞬間の状況を捉えると、どうなるのだろう。一見逆境にしか見えない状況でも、案外コヤシになる点があるんじゃないか。反対に、「油断大敵」「好事魔多し」ということはないだろうか。
  • 自分は、大抵の人たちに比べて随分いい環境にいる。単純に、そのことに感謝して生きる。傲慢さは最大の悪徳だ。
  • いや、寧ろ自分は「生きている」のですらない。周りのいろんな人に支えられて「生かされている」のだ。
  • 自分が生まれ変わることによって、周りの人に何を恩返ししよう。どうしたら喜んでもらえるだろう。。。

感受性が働きさえすれば、そして無駄に高いプライドを捨てさえすれば、無限の可能性が拓けていく。


ところが、感受性が鈍っていたら事はそう簡単でない。
世の中で俺は一番不幸だ。不運だ。不公平だ。何をやっても駄目だ。
「自分は歩けないのよ!」と快適に悲劇のヒロインしていたクララと同じだ。
否定的状況を、しかも他責で彩った恨みツラミしか出てこない。もちろん自分のことは棚に上げ、だ。


このドロドロの負のスパイラルに風穴を開けるためには、「恵まれた生ぬるい環境」を物理的に壊す以外にない。
過激ながら最近俺はそう思っている。
バカは困りゃなきゃ直らない。そういうことだ。*1
困る状況を作ってやらないと、気がつかない。気がつこうともしない。だから救いようのないバカなんだ。


しかし、この歳になると、正直、辛い。
ヤツが気づいて変わるか。
俺が匙を投げてしまうか。

 

*1:全くの余談ながら、前出のクララが始めて立ったのは「牛に近づかれて恐怖のあまり思わず立ち上がった」というシチュエーションであった。
困んなきゃ動かないのは、古今東西、臆病者に共通の特徴であるようだ。