souxouquit’s blog

オヤジロッカー souxouquit の蹴音映書網業泉食考♪

子育ては全人格的取っ組み合い

息子1号がバカなことをやらかした。
きっかけは極く些細なことだったんだが、受験生云々よりずっと手前の「真っ当な人間」として赦すべからざることだった。
傲慢な驕りを叩き直さなきゃならなくなった俺は、心を鬼にして、ヤツを家から閉め出し、殴り、叱り、怒鳴り、軟禁し、反省文を書かせた。


ここで言いたいのは、そういうアグレッシブな俺のやり方の是非、ではなくて。
もう一人の大人のことだ。


言葉が、40余年の人生の重みを持たない。全人格的取っ組み合いの行動ができない。いつでも「俺の言葉」や「俺のやり方」を待っていて、自ら働きかけるものがない。
あたかも、「教科書(この場合=俺)に正解が載っていてそれどおりに対応するのが唯一絶対の方法だ」と信じ込んでいるかのようだ。それ以外のやり方は、ハナから、可能性を考えようともしない。
誤謬の禁忌(間違ったらどうしよう)
→思考停止(考えるのや〜めた)
脳死(何もしないでタイミングを逸する)。
試行錯誤しながら、相手の出方を見ながら、押したり引いたり、そういうことを、もう全く、しないし、できない。


俺は男だし、寧ろ母性の方が理知的でないそういう「感覚的・手探りアプローチ」が得意な感じがするのだが。


翻って、お袋の対応を思い出す。
俺が親父に殴られたり、竹刀の上に正座させられた時にも、お袋はありとあらゆるフォローをしてくれた。「XXなことお父さんに言っちゃ駄目!そこはあんた先に謝んなさい」とか、場合によっては「ほら、お父さんが見てない間にXXやっちゃいなさい!見つかるとまた大変だよ」などという親父を裏切るような言動を、自分の責任で俺に投げかけてくれた。両親は、俺を叱る時いつもいつも事前に相談し役割を段取りしているとは到底思えなかった。お袋は極めてアドリブ的に、機微をみながら、俺の逃げ道を作ってくれたり、時には振り上げた親父の拳の落としドコロさえ用意していた。


要は、土台の「人間力」みたいなものが、とても弱いってことなんだ。EQ偏差値が低い、と言うか。
独自の判断で夜中に赦してやるのもアリだと思っていたが、俺が朝軟禁を解くまで、息子に声をかけることすら一切なかった。息子の弱々しく咳き込む声が、明け方まで続いたにも関わらず。
俺は寝付けなかった。眠りもすごく浅かった。夜が明けるまで、地獄のような時間を過ごした。自分を責めながら。でも自分から今緩めちゃ、突っ張ったパフォーマンスの効果が水泡に帰す。我慢。気が狂いそうな永遠とも思える時間。。。


朝、俺は、寒々と絶望的な気持ちで、しかし息子に向かって言った。
キミみたいな優しい人間がどうしちゃったんだ。俺は悲しいよ。
言ってしまってから、息子と二人で泣いた。


こうして、俺は、恫喝役とカツ丼役*1を、両方演らなければならなかった。


まあ、手間はかかるが仕方がない。俺の子供だ。


しかし、大きい方の子供はどうするか。

*1:ほら、刑事ドラマであるでしょう。取調室で机ひっくり返して容疑者を圧迫する役と、タバコやカツ丼すすめる優しい役。揺さぶって落とす「二人組」のテクニック。
ま、交渉事の基本ですわな。