souxouquit’s blog

オヤジロッカー souxouquit の蹴音映書網業泉食考♪

うつくしくやさしくおろかなり

ちょっと面白い本を紹介してもらった。
うつくしく、やさしく、おろかなり−私の惚れた「江戸」by杉浦日向子


この中に「色」に関する考察がある。
とても示唆に溢れているので淫妖引用しちゃうぜ。

江戸の色
江戸で「色」というと、色彩以外を指すことが多い。
洒落本、滑稽本などの、大衆小説では、情人を「色」と呼ぶ。好色、色欲、色事、色気、色町、すべて、男女の関係に通じる。
色、恋、愛。
この中で、愛が最も尊い気がするのは、明治以降、神仏の慈悲心を「愛」と訳してから。江戸のころは、 愛とは、「物」に対する執着を云い、「壷を愛する」「人形を愛する」など、所有者側の物への、一方的な束縛を示していた。単なる、強引強欲だ。
恋には、純真なイメージがあるが、これも青春の流行歌が全国的に普及してから。江戸では、「恋の闇」と云い、盲目的に想いを遂げたくて突進すること。八百屋お七が「恋」の見本だ。恋は、思春期の麻疹のようなもので、動物のサカリと同様の、生殖衝動だ。
残る、色。今では、恋愛よりも格下の、遊びに近い分野に入れられて、昼の話題ではないとされている。が、江戸では、前二者よりも上級だった。愛や恋は、力ずくや勢いで獲得できるが、色には駆け引きが必要だ。巧妙な心理戦であり、一筋縄ではいかない。
ランク付すれば、愛は、 他人に横取りされるぐらいなら、壊してしまうタイプで 、男女間に置き換えれば、最低。恋は、発展途上。生殖が完了すると急速に冷めてしまうので要注意。色は、人情の機微を知ってこそ楽しめる、卒業のない生涯学習といえる。
「色はその日の出来心」。色にはマニュアルは存在しない。臨機応変、不特定多数。互いに充実した時を過ごすためには、目の前の相手を敬い、赦す、 心のゆとりがなくてはならない。色には、愛の束縛願望も、恋の生殖達成もない。愛や恋は、会えない時にも相手を常に想っているが、色は、会えない時は電源 オフにして、とりあえず百分の時間を優先する。24時間、相手とケータイで繋がっていなくては不安なうちは、とうてい無理な課題。
「色っぽい」は、江戸では最高の誉め言葉だ。「オイロケ」だとフェロモンむんむんの軽薄な感じだが、本来の「色気」には、容貌だけではない、言動などの内面的な魅力が不可欠だからだ。
色気のない人生は、モノクロの世界だ。出会いと別れを重ねるにつれ、若いころ、接写だった視野が、だんだん広角になり、画素も増えて鮮明になり、隅々まで色や輪郭がはっきりしてくる。
いろいろ、難しいけれど、どうせなら色っぽく生きよう。

ホントどうせなら色っぽく生きようではないの。