souxouquit’s blog

オヤジロッカー souxouquit の蹴音映書網業泉食考♪

俺は如何なる管理職か

先日没したドラッカーのチェンジリーダーという概念、とてもピッタリくる。俺は、たぶんこれだ。変革型管理職。うん。
ものつくり大学教授でドラッカー研究の第一人者、上田惇生氏のページにもこんな記述がある。

「会社のほうが自分より長生きする。会社のほうが自分よりもしっかりしている。会社に寄りかかっていれば大丈夫」という人たちよりも、「自分のほうが会社よりも長生きする。自分のほうが会社よりしっかりしている。会社に寄りかからなくとも大丈夫」という人たちのほうが、仕事はできるし、会社としてもはるかにありがたい存在だ。

多分、知らないうちにこういう価値観を習得していたのだろうと思う。
それにしては職場の先輩も同僚も、志の低い輩が多すぎるぜ、と嘆くこともしばしばだが、どうもそれにも答えはあるようだ。

仕事の仕方も人それぞれ。それが個性である。ドラッカーは、なぜかはわからないが、仕事の仕方についての個性は仕事に就くはるか前に形成されているという。したがって、仕事の仕方も、強みと同じように与件だ。与えられたもの、決まったものである。変更はできない。少なくとも簡単にはできない。

なるほどね。
恥ずかしながらこれまで読んだことのないドラッカーを、一度きちんと読もうと思う。


備忘

「超トヨタ式」を中心となって展開していくのは管理職である。戦後の日本企業には、3つの世代の管理職がいたと私は考えている。
まず、1950年代から60年代に育った管理職は、戦後の混乱期を乗り切るために、企業を変化させて「明日」への生き残りをはかるための試行錯誤をしながら「日本的経営」をつくり上げてきた。この世代が、戦後の「第一次世代の管理職」(戦後生まれの昭和ヒトケタ派)である。
続く1970年代から1980年代、日本的経営がいっそう効果的に機能し、高度成長が持続する順風満帆の環境の中で、企業は「管理のサイクルを回すことが仕事であり、目標管理による今日の業績向上が明日にもつながる」という強固な思い込みを持つに至った。この良き時代に管理職となった世代が「第二世代の管理職」(戦後生まれの団塊の世代)である。
世界的な大変革期に入った1990年代、日本の企業では戦後の良き高度成長時代に育った「飽食の時代派」と呼ぶべき世代が管理者層を形成するようになってきた。これが「第三世代の管理職」である。
日本にとって不幸だったのは、世界的な大変革期に、変革の役割をになうべき主役として期待されていた第三世代の管理職が、変革型管理職、すなわち「チェンジリーダー」として育たなかった、いや正確にいえば、育てられなかったことである。それは、育てる立場にいた第二世代の管理職が、「変化のためのイノベーション活動」の経験を持っていなかったからである。
第二世代の管理職の時代は右肩上がりの絶頂期、日本的経営の全盛期である。彼らは、現状システムの中で管理のサイクルを回してさえいれば評価された。日本的経営に限界が見え始めて新たな経営方式が求められるようになってもその開発を怠ってきたし、現状を変えなければという必要性も感じず「今あるものを新しいものに再構築する」活動をしてこなかった彼らには、次なる世代を変革型管理職に育てる力などなかったのである。そして今や、この「変化のためのイノベーション活動」の経験のない彼らが企業のトップになっている。
歴史を振り返ると、いつの時代でも変革の主役は40代を中心とした世代である。いま日本の産業、社会に活力を取り戻すために求められているのは、第三世代の管理職がチェンジリーダーとなることである。その育成を急がなければならない。

しかし、待て。
そうか!漸く俺の時代が到来した! と手放しで喜ぶのは、如何にもおめでたい。そう簡単に行くもんか。
かつてはココロザシの高かった同期や同世代の連中は、第二世代の壁にぶち当たって辞めるか、会社に残る代わりに自ら牙を抜き「羊」に成り下がっている。極く少数、未だに牙を隠し持つ「羊に見せかけた実は狼」も生存しているが、こういう頼もしい連中も、無邪気でそれゆえに絶望的に高い「第二世代のハードル」から、日々津波攻撃を喰らっているのだ。


もはや時間の問題なのかもしれない。
第二世代が「こんな変化の激しい時代は俺たちには手に負えない」とギブアップするか、第三世代が「何だかんだ言っても高度成長を支えたあなた方の功績は偉大ですもう生意気なことは申しません」と金属疲労でポキンと折れるか。


第二世代は、イノベーションマインドがないその特徴がゆえに、世界の超優良事例「トヨタ方式」という「葵の御紋」に弱く、こういう書籍が発刊されるとたちまちまた「右習え」してしまうかも知れない。


ってここまで書いて、ココに一縷の望みを賭けざるを得ない状況を俯瞰すると、絶望的に情けない。