souxouquit’s blog

オヤジロッカー souxouquit の蹴音映書網業泉食考♪

とある往復書簡

K
昨日なんかのテレビで新人アーティスト発掘プロデューサのことやってた。
毎日何千本のテープが送られて来るので、最初のフレーズ聴いただけで次から次へと捨ててってた。愛にはいくつもの形があって〜♪みたいとこで「いくつもあるって言われてもなぁ」とデッキを止めテープを入れ替えられたり。そんな中でも今すぐに連絡しなきゃ!と思うのは年に2〜3組だって。
その人はラブサイケデリコを世に送り出した辣腕らしく、今はある路上アーティストに入れ込んでいる。その子の路上ライブに付き合ってる場面があったけど厳しい厳しい。彼女がCD一枚売った後、次の人とは激励だけされて別れて嬉しそうにしてたら「さっきの人さ、買ってくれるつもりになってたよ!財布出してたもの。お前、一枚売れただけで満足してただろ!ダメだよお前は。やる気あるのか」ってすごい勢いで叱責していた。その甲斐あってか、採算ラインの5,000枚をクリアし地方放映ながらCM曲も録音することになって、今からまさに羽ばたこうとしてた。その録音においても「お前、今ブレス遅れてた。だから歌いだしが遅れる。真面目にやれよ!」って。へこたれない彼女もすごいが。
EXILEのボーカルも出てた。エイベックスの社長と会議してて、新曲がオレンジレンジにすごい水をあけられてることについて深刻に反省してた。
夢だけじゃダメなんだねぇ。


S
いやぁ、よく解る。プロって厳しいよね。でも、考えてもみろ。
俺たちがやりたいことって、ほんとにこういうことなんだろうか?売れる、多数の人になるべく多くの機会に消費されることのみを是として活動してきたのだっけか?
無論「根性としてのプロ」っぽい態度で得られる「高み」は、確かに存在するよ。音楽のボキャブラリーが豊かになったり、サポートしてくれるスタッフなんかの仲間の信頼を得たり、とかね。だけど、それは「表現したいもの」を「表現しやすい環境を作る手段」に過ぎないだろ?「表現したいもの」そのものが変わる訳ではないだろ?
今回MDを送った事務所のwebsiteに、こんな件がある。

勝手に自分のお金で、自前のスタッフで、自分がいいと思って作る音楽は、どんなものであっても許されます。でも、人のお金、人様のスタッフを使って作るのなら、『自分』勝手にいいものを作ることは許されないと知るべきです。むしろ『他人』勝手にいいものを作る義務があると知るべきです。それはいやだ!という人もいるでしょう。それなら自分で作ればいいだけのことです。

ホントにそうだと思う。
だってそいつはさ、憶測だけども、自分のミュージシャンとしての夢があったにも関わらずその夢破れちゃってさきっと。でも自分の食い扶持確保のために、その小娘に稼いでもらわなけりゃ困る訳だろ。小娘の立場で言えばさ、売れる確率を少しでも上げるために、ミュージシャン崩れのおっさんのノウハウに頼っている訳だ。一蓮托生。お互いにパラサイトの「共生関係」だよな。


でもな。だからといって、俺は「根性としてのプロ」の態度を全く否定しない。むしろ肯定的に思っているよ。前に書いたとおりな。


先のwebsiteに、こんな件もある。

人さまのお金で作られている、ステキな音楽はごまんとあります。自由に作られていても、僕には無縁・無用の音楽もこれまた、ごちゃまんと存在しています。

一番言いたいことは、「人様のお金で音楽を作らせて貰っている『職業としてのプロ』」と、「自分の表現したいことを表現しつくすべく努力する『態度としてのプロ』」を常に峻別して意識して、ごっちゃにしないようにしようね、ということ。
プロって言うのも、いろんな意味で難しいよな。