souxouquit’s blog

オヤジロッカー souxouquit の蹴音映書網業泉食考♪

オヤジ・ロックバンド・コンテストの総括

世間が求める「ロック」とは、何なのか。なぜ「オヤジ」が「ロック」していることを「コンテスト」形式で総覧しようと企てるのか。このコンテストに照らして定義してみる。
要するにこういうバンドが受けていたんである。

  • 今もって西洋音楽に憧憬の念をもって接していること
  • 貪るように「American Top 40」を聴いていた原体験を、ノスタルジーと共に観客と共有できること
  • 遠く手の届かないモノに対し、懸命に近づく努力をしていること、ないしは、その努力が見えること


決して

  • かつては借り物であった洋楽を、十分咀嚼して、等身大の「自分の音」として奏でられること
  • 自分の内面にある感情をリアルに、場合によってはグロテスクに吐露すること
  • 観客には努力の跡など見せず「完成されたステージ」としてパフォーマンスすること

などという、生意気で、枠から外れていて、怪しい挙動は許されなかったのだ。何故なら、分別をわきまえた「オヤジ」が「ロック」という小道具で遊んでいる図を逸脱することは、危険極まりないことだから。


ラブ・アンド・ピースやフラワー・チルドレンのムーブメントは何だったのか。ドラッグが世界を救うと本気で考えていたウッドストックのうねりは何だったのか。ロックが、20世紀のカウンターカルチャーのコアとして、また、若者の思想や行動を変える起爆剤として受け入れられていたことは幻だったとでも言うのか。


「オヤジ」だって、いや「オヤジ」だからこそ、分別臭い世界で生きているのが呼吸困難で、枠が嫌だからロックに身を投じているんだ。
俺もTAKSも、転がり続けるしかない。