souxouquit’s blog

オヤジロッカー souxouquit の蹴音映書網業泉食考♪

終わってみればアッサリ、「絶対に負けられない戦い」

前にも書いたとおり、「勝ち点を10〜12積み上げる」ノルマを達成した日本代表は、イランとの最終戦を待たずにB組2位以内を確定し、開催国以外では世界一番乗りで独逸行きを決めた。終わってみれば、あっけない。選手だって「勝って当然」ってな顔で、8年前のジョホール・バルの岡野みたいに大喜びしないし。
北朝鮮の蛮行のおかげで異例の「第3国無観客試合」となった最終戦。静かに、そしてゆったり着実に強さを見せ付ける最高の横綱相撲。マスコミが「絶対に負けられない戦い」とか大騒ぎして煽るトコロとは全く別の次元で、日本代表は本当に強くなった。結果が出るということは、そういうことだ。
1年4ヶ月にも亘るその歩みを、今一度振り返ってみたい。
思えば、やっぱり長かったなぁ。


1次予選(3組、日本関連の試合のみ)
2004/2/18  日本 1−0 オマーン
2004/3/31  シンガポール 1−2 日本
2004/6/9  日本 7−0 インド
2004/9/8  インド 0−4 日本
2004/10/13 オマーン 0−1 日本
2004/11/17 日本 1−0 シンガポール


順位 国   Pt 勝 分 敗 得 失 差
1 日本  18 6 0 0 16 1 +15
2 オマーン  10 3 1 2 14 3 +11
3 インド    4 1 1 4 2 18 -16
4 シンガポール3 1 0 5 3 13 -10


1次予選のポイントは、初戦オマーン戦。あの日はゴール裏で観戦していたんだ。初戦、それも実質ライバルになるオマーンをホームに迎えての試合。重要な試合になることが判っていたからこそ、点が中々入らずイライラは募るばかり。ロスタイムに突入した時は、正直、ちょっと諦めかけたよ。久保のぼてぼてダフリシュートが入った時の嬉しさったら、コトバで表せない。もうひとつのポイントは、アウェイのシンガポール戦の藤田俊哉の値千金の決勝ゴール。この2戦は引き分けてもおかしくなかった。この頃の日本代表は、中盤の攻守のバランスの悪さ、国内/海外組の確執、戦術の不統一感など、チームとして成熟しているとは言い難かった。もし1次予選の早いこの時期に勝ち点を落としていたら、その後、相当苦しい戦いを強いられていたに違いない。結果的には「6戦全勝」という堂々とした成績。


2次予選(B組、全試合、2005.6.8まで)
2005/2/9  バーレーン 0−0 イラン
2005/2/9   日本 2−1 北朝鮮
2005/3/25 イラン 2−1 日本
2005/3/25  北朝鮮 1−2 バーレーン
2005/3/30 日本 1−0 バーレーン
2005/3/30  北朝鮮 0−2 イラン
2005/6/3     イラン 1−0 北朝鮮
2005/6/3 バーレーン0−1 日本
2005/6/8 北朝鮮 0−2 日本
2005/6/8    イラン 1−0 バーレーン


B組では、2位を狙えばいい、ある意味戦いやすい環境であった。イランにいくら星を落としても北朝鮮バーレーンにキッチリ勝てば、ほぼ2位以内を確定できるからだ。
ホーム北朝鮮戦の大黒のロスタイムのゴール、ホームバーレーン戦のサルミーンオウンゴール。2次予選でもこのチームの勝負強さは存分に発揮された。「1点差勝ち」試合の多いこと! それに、警告累積サスペンドや怪我で主力がピッチに居なくともパフォーマンスがガタ落ちしない層の厚さ(最終戦など、久保,高原,中田ヒデ,中村俊輔,小野伸二,アレックスなど「飛車角金銀落ち」だった)。やはりアジアチャンピオンに相応しい総合力を見せ付けたと言っていい。何しろ1次予選から通算で、10勝1敗なのだこのチームは。


さあ、コンフェデ杯だ。
これまでは勝たなきゃいけない戦いだったけど、この大会では、可能性を追求して欲しい。何故トルシェではトルコに勝てなかったのか? 何故ベスト8になれなかったのか? 宮城スタジアムに置いてきた「答え」を探す第一歩として欲しい。アジアチャンピオンとして、堂々と。