souxouquit’s blog

オヤジロッカー souxouquit の蹴音映書網業泉食考♪

曲作り

TAKSはオリジナル志向のバンドだ。
初ギグの時はジョンの追悼という事情もあってビートルズを演ったりしたけど、それにしてもコピーというよりカバーだ。
だいたいSgt. Peppers'など、ラッパがなければコピーできない。


もともとオリジナル志向が強いメンバーが集まったせいもある。
それと、おいらを含め3人が曲を書く。
しかし、オリジナル志向が強い割には、バンドのカラーみたいなものには無頓着というか、「いろんなヤツがいろんな曲を書いて混沌としているホワイトアルバム* 状態でいいんじゃない?」といい加減なのである。


しかし、歌詞は基本的においらが書いている。
というより、TachikawaにしてもKuwabaraにしても「曲できたから歌詞書いてね」と全く無責任にまかせるのである。
Realityは高校の頃からのKuwabaraの持ち歌で別だが、それ以外の詞は結局全部おいらが書いた。余談ながら、Realityの歌詞はすごい。いわゆるプロでない曲で、これほど歌い易い歌詞には初めてお目にかかった。何と言うか、抑揚がロックのリズムにピタリとはまるのである。さすが、お帰国子女サマ(棄国子女と言うと本人が嫌がる、今度ヒヤかしてみて下さい)Kuwabaraの面目躍如である。


また話が逸れた。


他人の曲、それもアレンジまでほとんど完成した曲に詞をつける作業は、それほど易しいものではない。いわゆる「曲先」あるいは「はめ込み」というヤツである。


まず、言語の問題。
ボキャブラリーさえ豊富なら、英語の詞をのせる方が遥かに易しい。
英語の場合、コトバの強弱(=ストレス)自体にリズムがあって、それをメロディに乗せる作業はそんなに難しくない。というより自然にメロディに詩がのって、メロディラインと詞がいっぺんに完成する。
でも、おいらは日本人だし、日本語で勝負したいといつも思っている。Requiemなど英語の曲もいくつかはあるんですけれど。


日本語の曲のリズムは、むしろ「字数」が支配している。
「あなた変わりはないですか、日ごと寒さがつのります」みたいな5・7調が多いのもそのせいである。
反面、小節ごとにキチンと詞をのっけると、北の宿のごとく非常に平坦になってしまい、面白くも何ともない。だから、コトバの区切りを小節の区切りから敢えてずらす。自分の曲で「詞先」の場合は、よく譜割りを食ったり余らせたりして、都合、変拍子にしてしまうこともしばしばである。


つまり、おいらにとって日本語の詞をつける作業というのは
基本的に字数が制限されているメロディラインの上に譜割りを意識しながらかつ適当に譜割りを裏切りながらコトバをはめていく
という作業である。Tachikawaの曲などはシンコペーションの嵐で、原曲自体が「食い」だらけなのに加え、おいらの歌詞が「譜割り外し嗜好」なものだから、何だかとても変てこなリズムに溢れた曲にあいなる。倖せのサビとかね。


それでも、詞をつける作業は楽しい。
第一、曲をアタマに入れてしまえば、どこでも詞が書ける。全く手軽である。デストロイヤーなんか無茶苦茶忙しかったので、出張でワシントンDCへ向かう機中で書いた。
また、他人の曲の場合は思い入れが強くないので、良くも悪くも歌詞で冒険できる。「イケてる女」などというフレーズは、自分の曲には死んでもつけない。


昔は「果たして日本語はロックにのるか」みたいな不毛なテーゼが、プロアマを問わず大真面目に議論されてきた。
そんなことを軽く飛び越えたトコロにTAKSは居る。
やはり、TAKSはスーパーバンドである。


今度は「詞先」でやってみようね、Tachikawaくん、Kuwabaraくん。


【注】*ホワイトアルバムビートルズ後期の傑作2枚組。
前作「Sgt. Peppers' Lonely Hearts Club Band」がロックの金字塔と言われるほど滅茶苦茶に完成度が高く緻密な作りであった反動で、メンバーの個性がのびのびと発揮された愛すべきアルバムとなった。
まとまりが無い印象を与えながらも、全30曲のバリエーションはさながら「ロック大全」の趣きがあり、個々の楽曲も実は佳曲揃いである。
ちなみに「ホワイトアルバム」というのはジャケットが真っ白であったための愛称。
正式には「The BEATLES」。おいらのシリアル#はA321268。